淨福寺は、肥後菊池氏の一族である菊池武明が出家して名を明順とあらため、本願寺第8代蓮如上人に帰依。その命により、現在の北海道で開教活動を行った後、文明7年(1475)に本願寺道場を開いたのが始まりとされています。
当初は、現在の酒田市宮野浦にありましたが、天分年中に亀ヶ崎城付近に移転した後、本間家の庇護を受け、現在の地に移りました。
本堂は、明治27年(1894)10月22日に発生した庄内地震(マグニチュード7.0)で倒壊。その後、再建され現在に至っています。
再建にあたって作製された木造模型を本堂に展示しています。
唐門(山門)は、寛政12年(1800)に本間光丘氏が寄進されたもので、本山(東本願寺)の大谷祖廟を模し、京都から宮大工を呼び寄せて造られました。
表裏両面に唐破風がある入母屋の瓦葺き総欅造の「四脚向唐門」で、明治の庄内地震の揺れにも耐えた酒田市最古の建造物です。
江戸時代後期の山門建築の遺構として、昭和38年(1963)に酒田市指定文化財に指定されています。